教師教育改革Collaborationとは何か

 知識基盤社会は知識を消耗する社会だという.覚えた知識技能があっという間に使い物にならなくなってしまうような速さで,社会が進行している.この社会に生きる子どもたちに対し,目先のHow-toを越え,考え,判断し,表現する力が求められているのも頷けることである.また,現代社会はGlobal社会でもある.人々は民族・宗教・言語・国家等のDiversityを乗り越えて,協働探究し,合意形成できるCommunication能力,さらには,学び合うCommunityを形成できる能力が求められていよう.今世紀の日本は,国外に向けては,世界の荒波に立ち向かっていかなければならず,同時に国内にあっても,少子高齢社会に突入することで,大きく変化する分配構造について新たな合意形成が必要となっている.子どもたちに新しい学力を獲得してもらうことは,是が非でも実現しなければならない最優先課題なのである.

 当然のことではあるが,子どもの学力形成に携わる教師自身が,このような能力を有し,教員集団自体が学び合うCommunityを形成しているようでなければならないことは言うまでもないことである.ところが残念ながら,教師は「教える専門家」から「学びの専門家」への資質能力の転換をまだ充分になしえていない.教師は社会や保護者の要請でもある受験学力と,今世紀が求める学力との板挟みになっており,その結果,自身の専門性についても,教えるための知識技能習熟の発想から脱しきれずに喘いでいる.中教審答申「教職生活の全体を通じた教員の資質能力の総合的な向上方策について(H24年8月28日)」で,強調して「学び続ける教師像」を打ち出さなければならないのが現状である.これらの背景には,教師の職能成長を支える教師教育制度が確立されていないことをあげることができよう.

 大学は,依然として教師生活のStartまでの4年間(教員養成)に関心があり,教師の生涯にわたる職能成長を支える仕組みに転換しておらず,ようやく前述の中教審答申に促され,教育委員会との連携協働が始まったところである.しかし,実のところ教師は学校で育つ専門職である.さらに言うならば,教師は弁護士や医師のように自営業のできる専門職ではなく,学校という組織の一員であることを前提にした専門職である.したがって,教師教育を行う大学院のCurriculumは,学校改革を前提にした教員の組織学習(Organizational-Learning)を促すようなものでなければならないであろう.大学人は,現実の学校教育から乖離したまま,大学のCampusで展開する教育学研究科修士課程を自らの意志で,Innovationしていかなければならないのである.学校を基盤とした大学院教育の確立が急がれる所以である.

 ところが,学校基盤型の教師教育というと,しばしば誤解されてしまうことが多い.戦前の師範学校教育の反省から,大学基盤の学問重視・教養重視の教員養成に代わったのにもかかわらず,もう一度現場Sideの職人としての知識技能重視の教員養成に戻そうとしているとの批判である.教育委員会が開催している教師塾などとも同列ではないかとも批判されている.しかし,ここで取り上げている学校基盤型の教師教育とは,大学のCampus-BasedでLiberal artsを行うか,School-Basedで実際的な技能習得を行うかの軸上の話ではない.この軸では,軸の両端とも知識習得型の一方通行の学習から抜け出してはおらず,両者とも子どもたちに新しい学力を培うことはできないからである.

 しばしば耳にするもう一つの批判は,学校基盤型の教師教育が,従来のOJT(On-the-Job Training)と同じものになってしまい,これまでの教員研修と何ら変わらないとするものである.違いを示すことのできる今が,大学が行う教師教育の真骨頂を示すときであろう.大学院で行う学校基盤型の教師教育とは,OJTがしばしば学校の中で閉じたものになったり,管理Systemと同じHierarchyのもとで一方向的な情報伝達になってしまったりするが,そうであってはならない.学校基盤型の教師教育では,学校の中で起きる実際的で,具体的で,個別的な教育的事象を取り上げつつも,実践-省察-再構成のCycleに同伴し,傾聴と語りによるCase-conferenceを行う.そして,次第に省察のSpanを長くし,1回1回の事象を語りによって繋げ,子どもの成長や教育の構造にまで言及できるように研究会の場を整備している.それとともにCase-conferenceの参加者の生の実践事例だけでなく,過去に残された優れた実践記録(報告)も省察の対象となり,歴史との対話も生まれることになり,時間のSpanは一人の人間の活動期間を一挙に超えることになる.

 また同時に,Case-conferenceに参加する人の在り方も,次第に変化するように整備する.最初は身近な同僚等のCommunityから始まって,次第に,教科や校種や世代や専門性の異なる者が加わるCommunityへと整備していく.異質な者同士が語りと傾聴によって了解を得ようとすれば,両者が納得のいく地平から意見を再構築しなければならなくなる.参加者相互で確定共有を拡げることが,同時に,事の本質に迫る仕組みになっていくわけである.こういったCurriculumが整ってこそ,学校基盤型の教師教育は実現する.しばしば,学校基盤型の教師教育が,教師の資質能力として教養重視・学問探究重視から,教師の職人としての知識技能重視へ転換だと誤解されるが,決してそうではないことがお分かりいただけよう.

 ところで,より長いSpanの省察的実践を取り上げ,より異質性の高い集団の中で実践を論議しようとすると,必然的にLearning-Communitiesは1大学の範囲に留まっていることはできなくなってくる.多くの大学が参画するような,実践の報告を少人数でじっくり論議できるRound-Tablesが必要になってくる.「教師教育改革Collaboration」では,全国の12大学が,学校を基盤とする教師教育を地域の教育委員会と連携・協働して実現しようと集まっている.

 「教師教育改革Collaboration」のもう一つの特徴は,いわゆる研究者養成の大学が参加していることである.子どもに新しい学力を培うためには,教師が変わらなければならず,教師が変わるためには,大学・大学院教育が変わらなければならない.これまで,大学・大学院の教員は,研究者養成大学からの出身者であることが多かった.研究者養成大学の博士課程の院生が,本学のような教職大学院に教職員として借籍を置き,実践と理論の往還を実現する過程に参画し,その経験をもとに教員養成系大学に就職し,教育の改革に着手するようになると,日本の教員養成系大学が変わっていくことができるであろう.今後参加大学が連合してEd.D.を含めDouble-Degree制度が実現できるようになると,大学・大学院における教師教育が大きく変化することができよう.「教師教育改革Collaboration」では,このようなことを目標に連携・協働を進めている.

松木健一
福井大学教職大学院専攻長